徹底討論!ニッポンのジレンマ
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正月にオンエアされたニッポンのジレンマが本になったのでご報告。
なんでも、収録6時間のうちの未公開部分も可能な限り収録してあるそうだ。
(オンエア分は3時間)。

この番組、予想外の反響で、2回も再放送が行われた。3回目も計画中で、
とりあえずシリーズ化は確定とのこと。近年の討論番組では珍しい手ごたえだろう。
というわけで、個人的にその理由を考察してみたい。

実はこの番組は、少々その他の番組とは制作プロセスが異なっている。
出演が決まる前段階で複数回の打ち合わせを行い、いくつかの問題について
ある程度まとまったレクチャーを挟んでいる。

ただ聞き流すだけでなく、双方向で質疑を混ぜるから、ちょっとしたゼミみたいな
ものだろう。

ほかの出演者ともそういうプロセスを経ているかどうかは知らないが、やっていると
すれば、事前調査としてはかなりの情報量だろう。

一方で、他の番組ではこういうことはまずない。あっても挨拶程度、朝生にいたっては
電話一本で出演が決まったりする。

この違いはどこから来るのか。
朝生型コンテンツは、はっきりいえば制作者は議論の中身にはコミットしていない。
この手の番組は極論すれば、雑多な材料を鍋に放り込んでどういう化学反応が
起こるかを楽しむ科学番組みたいなもので、制作者の役割は、化学反応が起きそう
な面子を集めてくることだ。

一方、ジレンマについては、制作側が中身を理解した上で、ある程度は議論を
デザインしようとした。
それが、議論がまあそれなりにまとまりを失わなかった理由だろう。

たまに「もっと違う立場の人を出せ」とか「男女比を揃えろ」なんてトンチンカンなことを
言ってる人がいるが、上記の視点からすればまったくもってナンセンスだ。
異なる立場とか、ましてや個人の属性なんて、コンテンツ設計図の前では何の意味も
持たない。
「大変だワーワー」しか言えない人や、実社会で既にかたのついたテーマ
については、切り捨てて絞り込むべきだ。


フォローしておくと、どちらのアプローチが良い悪いという問題ではない。
ジレンマ式は一定程度の質は担保できても、政権交代のきっかけになるような
“化学反応”は絶対に起きないだろう。でも、社会の成熟化、多様化にともない、
化学反応はますます起きづらくなっているように思う。

なにせ「橋下徹と〇人の怒れる日本人」という魅惑的なごった煮でさえ、期待する
ほどの化学反応は起こせなかったのだから。今は白と黒が正面切ってぶつかり合う
ような時代ではないのだ。

逆に、いまだに白と黒で語ろうと努力している人達は、自分達が白でも黒でもない
無機質なグレーとして社会から忘れられつつある現実を直視すべきだろう。

まあ金曜日の深夜くらい「異種格闘技対決」があってもいいとは思うが、
日中やゴールデンの番組は、もうちょっと作り手も“当事者性”を持って勉強してよ
というのが個人的な意見だ。

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