『オルタナ No13』


環境やCSR関連のビジネス情報誌オルタナ13号、
「U-40が日本の政治を変える」コーナーに、モノ言う若者の会のメンバーである
寺尾美香嬢が登場しているのでご紹介。
もしも若者の投票率が上がったら…というお話。

留学生が採用されない理由

留学生のエンジニア採用が低調であるとの調査結果。
新刊でも触れていることなので、簡単にフォロー。

留学生、特にアジアからの留学生受け入れについては、国も重要性を認識して
いろいろと支援策をとっている。高等教育の質は、競争と多様性によって磨かれることは
この分野におけるアメリカの一人勝ちの状況を見れば明らかだからだ。
グローバリゼーションの進む中、高等教育の重要性はますばかりだ。

と、ここまではいい。問題はここからで、当の日本企業の側がいまひとつ採用に乗り気
ではないのだ。大きく分けて、理由は2点。

まず、留学生と企業の労働観の違いが大きい。
日本企業、特に製造業は保守的な傾向が強く、今でも終身雇用至上主義な風土を
残している企業が少なくない。要するに、新卒で学校推薦で入社して、30年以上
滅私奉公して、最後は「わが生涯に一片の悔いなし」と言ってくれるような
若者が理想なわけだ。
当然、そんな変態は日本人にしかいないので、そういった企業は留学生を敬遠
する傾向がある。

そしてもう一つの理由は、いつも言っている“年齢”問題。
韓国以外のアジア諸国にはそもそも年功序列と言う発想がないので、いくつかの大学を
遍歴したり、あるいは一時的に企業で働いたりして、博士課程なのだけど30歳
なんて人が結構いる。

「学ぶことそれ自体に年齢は関係ない」というのは世界的常識なのだが、ここ日本
は年功序列というまったく別の価値観が支配する国。人間の価値は年齢で決まるのだ。
「終身雇用までは求めない、若い間だけ頑張ってくれればいい」という寛大な企業でも、
さすがに30近い学生を採ることにはアレルギーを感じてしまう。

まあ、要するに受け入れ側の企業内の流動化を図らずに、いくら高等教育、専門教育
の拡充を叫んでも、効果は限定的ということだ。
日本人の高学歴者がフリーターをやっている現実も、根っこは同じである。


雑感@経済危機対策

10日発表の政府の経済危機対策について。
環境対策、資源政策などで見るべき部分もあるが、全体的にはなんというか、玉虫色である。
とくに雇用は新味がほとんどない。一言で言えば、単なるバラマキだろう。
バラマキが何でダメなのかというと、それが本質的な改革につながらない対症療法に
過ぎないからだ。
火事になっているのに火を消さないでエアコンつけようとしているような
ものだから。それで喜ぶのは、もうすぐ寿命のお爺ちゃんだけだ。

ツケの先送りと言ったほうが、若い人には琴線に触れるか。

たとえば雇用調整金をばらまいて、それが労働市場の流動化につながるだろうか。
はじき出された人はむしろ参入のハードルが上がるだけ。極論すれば、次世代の負担で
逃げ切りたい人の背中を押してあげるようなものだ。
再就職のための職業訓練にしたって、そういうことは日本は以前からそれなりに力を入れて
いる。問題は送り出す側でなく、受け入れる企業の側だ。
価値観が硬直しきっているため、「若くてしかも職歴アリ」みたいなものすごい
ストライクゾーンの狭い球にしか手を出そうとしない点にあるのだ。

ついでに言うが、少子化対策で「子育て応援特別手当を一年間だけ拡大」というのもひどくて
一年間だけばらまいてどれだけ意味があるというのか。
本質的な問題は、日本が先進国中最大の男女間賃金格差があり、非正規雇用比率が
高いこと。
つまりここでも、賃金基準が昭和型に硬直していることが原因なのだ。
今回の対策には、こういった本質に迫るものが(少なくとも雇用・少子化に関しては)
まったく見えてこない。
そういう意味で、個人的にはとても残念に感じている。

我々が二十歳の頃。「公共事業をやればやるだけ社会はよくなるんです」と主張する人達が
大勢いて、実際盛大にばらまいた。気が付いたら財政は危機的状況に陥り、しかも構造的な
課題は何一つ解決しておらず、むしろ悪化している。
勝ち組といえば、そういったバラマキを主張し、そして無事に逃げ切った当時の50代だけだ。

もう日本には後がないのだから、90年代の教訓を忘れるべきではない。
ただのバラマキではなく、次代につながるような構造的改革にこそ、最後のカードは切るべきだ。

天地人

先日のエントリーに関連して、今月号の「月刊The21」。
大河ドラマ「天地人」などの題字で有名な書道家の武田双雲氏のインタビューが面白い。
氏は新卒で入社した会社を3年で辞めているのだが、きっかけの一つが
「通勤ラッシュがいやだったから」だそうだ。
(最後は自腹でグリーン車で通ってたらしい)

「この軟弱ものめ!」とかなんとか上司に言われてそうだが、その後のご本人の活躍を
みるに、少なくとも上司たちよりは果敢に見える。
ちなみに、氏のいた会社はよりによってNTTである。
いやあ、合わないだろうなあ(笑)

余談だが、氏とは不思議な縁がある。
実は僕の名刺は、氏に書いてもらったもの。
昔、まだそんなに出ずっぱりにならないころに依頼して書いてもらい、気に入って今でも
使っている。もちろん、3年でNTT辞めているとか、3年で辞めた若者~なんて本を
後で書くとか、そんなことは互いに知るよしもない。

たまに「達筆ですねぇ」なんて言われることがあるが、僕自身はかなりの悪筆なので
あしからず。

社会起業が流行る理由

今週号のダイヤモンドは「社会起業家特集」だ。
定義は難しいのだが、一定の社会貢献と収益を両立させたビジネスモデルを持つ
起業のことで、NPOと営利企業の中間的な存在と考えればいい。
一昨年あたりから話題になっている企業形態だ。いや、価値観というべきか。
こういう価値観の登場は、やはり昭和的価値観の凋落とリンクしているように思う。

90年代末以降、日本社会では2つのメッキが剥げ落ちた。
一つは企業というメッキだ。これについては特に説明は要らないだろう。
出来るだけ大きな会社に入って長く勤めた方が得だという価値観は、ある程度の
リテラシーのある人なら既にもってはいないはず。

そしてもう一つのメッキが、東京だ。
昭和の時代とは、企業の時代でもある。野口悠紀雄氏の言うように高度国防国家の
枠組みだけが生き残って高度成長国家となり、生産を軸とした社会作りがなされてきた。
雇用面でこれをサポートするのが終身雇用というフレームであり、労働者は企業に
縛り付けられ、イニシアチブは完全に企業側に握られた。総合職男子中心主義、
残業・転勤地獄といった日本名物は、企業による統治の副産物だ。

そして、それらを体現した都市こそ東京だ。企業活動のみを重視し、通勤インフラ、
労働環境などすべて犠牲にした企業都市。個人的には、あの通勤電車の詰め込みぶりこそ
昭和的価値観の象徴だと思う。

さて、2つのメッキが落ちた以上(少なくともそれに気づいた人は)もうそれらに
惑わされることは無い。企業戦士以外の生き方を、東京以外の地ですればいい。
そういった出発点から生まれた様々な生き方の一つがロハスであり、スローライフ
であり、社会起業なのだ。

本特集では、そういった若者たちのいろいろな活動が紹介される。雑誌なので網羅的
だが、興味のある人にはコチラをお進めしたい。

社会起業家に学べ! (アスキー新書 69)
今 一生
アスキー・メディアワークス

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「10年後失業」に備えるためにいま読んでおきたい話


若者を殺すのは誰か?


7割は課長にさえなれません


世代間格差ってなんだ


たった1%の賃下げが99%を幸せにする


3年で辞めた若者はどこへ行ったのか―アウトサイダーの時代


若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来
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城繁幸
コンサルタント及び執筆。 仕事紹介と日々の雑感。 個別の連絡は以下まで。
castleoffortune@gmail.com
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