今週のメルマガ前半部の紹介です。
「PERFECT DAYS」という映画があります。役所広司主演、ヴィム・ヴェンダース監督でカンヌで男優賞も取っているので「見た」という人も多いでしょう。
【公式サイト】「PERFECT DAYS」
筆者も昨年アマプラで視聴したんですが、平凡な主人公の日々の出来事を淡々と描くスタイル(筆者が最も苦手とするタイプ)のため「こりゃ30分持たないだろう」と思ったにもかかわらず、なぜかぐいぐい引き込まれてエンディングまで一気に見終えた記憶があります。
いや、ほんと刺さる人には刺さる映画だと思いますね!
ただ、先日、同じように「見た、そしていい映画だった」という知人と何気なく会話をしていて、あることに気づいたんですね。
本作はキャリアという観点から見ると、おそらく見た人のほとんどが抱いたであろう印象とはだいぶ違った話なのではないか。
(もちろんこういう作品に正解はなく見た人がそれぞれ解釈すればいい話なんですが)そしてエンディングまでに描かれた細かなディティール、設定をたどると、恐らくそれが作り手の置いた作品の本筋なのではないか。
というわけで、今回は本作をキャリアデザイン的に解釈してみたいと思います。視聴済みの人はもう一度記憶を掘り返してチェックしてみてください。未視聴の人には作品に触れるきっかけとなるかもしれません。
「PERFECT DAYS」とは何か
ネタばれして困る種の映画ではないので、おおまかなあらすじを紹介しておきましょう。
主人公の平山は、渋谷区内の公衆トイレの清掃人として働いている。現場に自家用車で直行直帰し、会社とは電話でしか連絡しないことから、おそらくは業務委託なのだろう。
まだ薄暗いうちに起床し、身支度を整えてから車で出勤。身支度の順序から各トイレを回るルートまで、平山の一日は細部まで決められた手順に沿ってきちんと繰り返される。
その丁寧な姿勢は仕事でもいかんなく発揮され、もう一人の若い相棒が呆れるほどに平山の作業内容は丁寧でけして手を抜くことはない。
とはいえ、そんな平山の生活にもささやかな変化は紛れ込んでくる。新たな出会いがあったり、ずっと疎遠になっていた親族と再会したり。
決められた日々を繰り返す平山と違い、周囲はある意味、そうした秩序をはみ出して生きている。行動も予測できないし感情表現も豊かだ。
平山も振り回されるし、時に感情もつられて表に出てしまう。
そして、あるささやかな(だが恐らく本人にとっては重要な)出会いの翌朝。いつものように車で出勤する平山の顔は、なぜか泣いている。その表情は何かを悲しんでいるようにも逆に笑っているようにも見える、というシーンで終幕。
多くの人は、平凡な労働者である主人公が、日々のささやかな出来事に幸せを見出そうと努力し、その日々の中で抱いた喜びと悲しみに対して感情をあらわにするのがラストシーンだ、それも含めて「PERFECT DAYS」なのだ、といった解釈だと思います。
何を隠そう、筆者も最初はそう思っていましたし。
ただ、一部の人は、平山は自身の人生に後悔を感じており、それがラストの涙の意味だと感じるそうです。家庭を作るでもなく、自分の好きなことだけをやって生きているように見えるのが理由のようです。
ところで、筆者が知人と話していてさらに別の3つ目の解釈があるのでは?と思うに至ったきっかけについて。
ラストシーンで、もし主人公がニコニコしながら「よーし今日もがんばるぞ」ってやった瞬間に映画の世界観が崩壊し、なんだかよくわからない2時間ドラマみたいなノリになってしまうだろう、という点で意見が一致したからですね。
その理由ですが、半分仕事柄でしょうけど、あの表情に至る伏線がそれまでの作品中に丁寧に描かれているように思えるからです。それらは以下のようなものです。
・日常をルーチン化することへの強いこだわり
・主人公が唯一声を荒げたシーン
・親族と絶縁状態
・むしろ他人との関係の発展を避ける姿勢
・タカシという対極の存在
これらからは全く別の人物像がうっすら浮かんで見える気がしますね。そしてそれは、ビジネスパーソンにとってもけして珍しいものではありません。
以降、
数々の伏線が意味するもの
「PERFECT DAYS」が中高年に刺さる理由
※詳細はメルマガにて(夜間飛行)
Q:「氷河期世代を援助するには何をすべき?」
→A:「はっきり言っちゃうともう最低保障年金くらいしかないですね」
Q:「AIってやばくないですか?」
→A:「小中学生は普通にAI使ってなんぼですね」
雇用ニュースの深層
Q&Aも受付中、登録は以下から。
・夜間飛行(金曜配信予定)
「PERFECT DAYS」という映画があります。役所広司主演、ヴィム・ヴェンダース監督でカンヌで男優賞も取っているので「見た」という人も多いでしょう。
【公式サイト】「PERFECT DAYS」
筆者も昨年アマプラで視聴したんですが、平凡な主人公の日々の出来事を淡々と描くスタイル(筆者が最も苦手とするタイプ)のため「こりゃ30分持たないだろう」と思ったにもかかわらず、なぜかぐいぐい引き込まれてエンディングまで一気に見終えた記憶があります。
いや、ほんと刺さる人には刺さる映画だと思いますね!
ただ、先日、同じように「見た、そしていい映画だった」という知人と何気なく会話をしていて、あることに気づいたんですね。
本作はキャリアという観点から見ると、おそらく見た人のほとんどが抱いたであろう印象とはだいぶ違った話なのではないか。
(もちろんこういう作品に正解はなく見た人がそれぞれ解釈すればいい話なんですが)そしてエンディングまでに描かれた細かなディティール、設定をたどると、恐らくそれが作り手の置いた作品の本筋なのではないか。
というわけで、今回は本作をキャリアデザイン的に解釈してみたいと思います。視聴済みの人はもう一度記憶を掘り返してチェックしてみてください。未視聴の人には作品に触れるきっかけとなるかもしれません。
「PERFECT DAYS」とは何か
ネタばれして困る種の映画ではないので、おおまかなあらすじを紹介しておきましょう。
主人公の平山は、渋谷区内の公衆トイレの清掃人として働いている。現場に自家用車で直行直帰し、会社とは電話でしか連絡しないことから、おそらくは業務委託なのだろう。
まだ薄暗いうちに起床し、身支度を整えてから車で出勤。身支度の順序から各トイレを回るルートまで、平山の一日は細部まで決められた手順に沿ってきちんと繰り返される。
その丁寧な姿勢は仕事でもいかんなく発揮され、もう一人の若い相棒が呆れるほどに平山の作業内容は丁寧でけして手を抜くことはない。
とはいえ、そんな平山の生活にもささやかな変化は紛れ込んでくる。新たな出会いがあったり、ずっと疎遠になっていた親族と再会したり。
決められた日々を繰り返す平山と違い、周囲はある意味、そうした秩序をはみ出して生きている。行動も予測できないし感情表現も豊かだ。
平山も振り回されるし、時に感情もつられて表に出てしまう。
そして、あるささやかな(だが恐らく本人にとっては重要な)出会いの翌朝。いつものように車で出勤する平山の顔は、なぜか泣いている。その表情は何かを悲しんでいるようにも逆に笑っているようにも見える、というシーンで終幕。
多くの人は、平凡な労働者である主人公が、日々のささやかな出来事に幸せを見出そうと努力し、その日々の中で抱いた喜びと悲しみに対して感情をあらわにするのがラストシーンだ、それも含めて「PERFECT DAYS」なのだ、といった解釈だと思います。
何を隠そう、筆者も最初はそう思っていましたし。
ただ、一部の人は、平山は自身の人生に後悔を感じており、それがラストの涙の意味だと感じるそうです。家庭を作るでもなく、自分の好きなことだけをやって生きているように見えるのが理由のようです。
ところで、筆者が知人と話していてさらに別の3つ目の解釈があるのでは?と思うに至ったきっかけについて。
ラストシーンで、もし主人公がニコニコしながら「よーし今日もがんばるぞ」ってやった瞬間に映画の世界観が崩壊し、なんだかよくわからない2時間ドラマみたいなノリになってしまうだろう、という点で意見が一致したからですね。
その理由ですが、半分仕事柄でしょうけど、あの表情に至る伏線がそれまでの作品中に丁寧に描かれているように思えるからです。それらは以下のようなものです。
・日常をルーチン化することへの強いこだわり
・主人公が唯一声を荒げたシーン
・親族と絶縁状態
・むしろ他人との関係の発展を避ける姿勢
・タカシという対極の存在
これらからは全く別の人物像がうっすら浮かんで見える気がしますね。そしてそれは、ビジネスパーソンにとってもけして珍しいものではありません。
以降、
数々の伏線が意味するもの
「PERFECT DAYS」が中高年に刺さる理由
※詳細はメルマガにて(夜間飛行)
Q:「氷河期世代を援助するには何をすべき?」
→A:「はっきり言っちゃうともう最低保障年金くらいしかないですね」
Q:「AIってやばくないですか?」
→A:「小中学生は普通にAI使ってなんぼですね」
雇用ニュースの深層
Q&Aも受付中、登録は以下から。
・夜間飛行(金曜配信予定)