終身雇用に対する非常に優れた論考を読んで、いろいろと考えさせられたので
やや雑感気味ながらメモしておこう。

終身雇用の正社員というのは、要するに身分制度のことであり、何でもやる代わりに
無条件で保護される権利を持っている。たとえば厚労省を例に説明しよう。

仮に、厚労省キャリア官僚で本省にポストのなくなったオジサンがいたとしよう。
彼はまず厚労省御用達の大学ポストに出され、仮にそこを出されても、厚労省がまた
新たにお抱え独立行政法人あたりにポストを確保してくれるだろう。
彼は“キャリア官僚”という身分なので、組織の意向に沿う発言をし続ける限り、
彼の職は厚労省が保証してくれるのだ。
(あくまで架空人物の話です、けして実在のモデルがいるわけではありません)

最近、一部に終身雇用を“メンバーシップ”と表現する人間がいるらしく、あちこちで
耳にするが、要は身分制度のことである。たとえば同じ厚労省管轄の役人であっても
ハロワの非正規職員はバサバサ首を切られており、そういう場合に
「俺は東大出て国Ⅰ受かったキャリアなんだからあんなのとは身分が違うんだよ」
なんて言ってしまうと公序良俗に反するわけで、だから“メンバーシップ”なんて
一見するとさわやかな言葉を流用したのだろう。

いつも言っているように、がっついたビジネスパーソンは響きの美しさに惑わされること
なく、本質を見極めねばならない。

ところで、筆者は正社員身分と非正規雇用の関係を考える時、いつもあるものを連想
してしまう。幕末に雨後のタケノコのごとく生まれた、新撰組を代表とする非武士階級
の戦闘部隊だ。新撰組の他にも、力士を集めた力士隊や、漁師や木こりの部隊まで
全国に誕生し、それらはまとめて奇兵隊と呼ばれている。

武士という身分を都合よく温存したまま、職務契約に基づく実動部隊を新たに利用した
という点で、現代の終身雇用制度と幕末の諸隊はよく似ている。

幕末のその後について補足しておくと、維新の後に身分制度は解消され、一応は
流動的な社会が実現することになった。

当然だろう。武士階級だけで政治が回っていた鎌倉時代ならともかく、武士だけじゃ
にっちもさっちもいかないから平民の力に頼ったわけで、もうその時点で武士なんて
存在意義を失っているわけだ。

“正社員”という身分制度も、彼らだけで会社が回らなくなった時点で、
もはや意義を失っている。

それにより得られるメリットではなく、必死に“メンバーシップ”だの“契約”だのの
死守を叫ぶあっち側の人達を見ていると、筆者はどうしても
「我が家は三河以来の由緒正しき旗本で~」としか言うに言えない旗本を連想してしまう。

メリットが無くなった時点で、それはもはや意義をもたないのだ。
意義の無いものを法で延命させたところで、社会の停滞を長引かせるだけだろう。









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